人と違うのが怖いのはなぜ? 「自分はおかしいのかも」と思えてくるまで
浮いている気がして、合わせて、自分がおかしいのかもと思えてくる。違うことが、どうして劣っていることのように感じられてしまうのかを考えてみました。
周りから浮いている気がする。気づくと、みんなに合わせている。そのうち、自分がおかしいのかもしれない、と思えてくる。そんなふうに、人と違うことが怖くなっていく人もいると思います。
合わせるたびに、自分の感じ方が分からなくなる
浮いている気がしたとき、まず周りに合わせることがあります。違う意見を飲み込んだり、周りと同じ格好に着替えたり。合わせれば、その場はやり過ごせます。
ただ、合わせるたびに、自分が本当はどう思っていたのかを言葉にする機会は減っていきます。 言葉にしなければ、人にどう受け取られるのかも分かりません。おかしいのか、普通なのか、分からないまま残る。合わせることが続くうちに、自分の感じ方そのものに自信が持てなくなっていく気がします。
浮いている気がする。自分を疑う。黙る。もっと疑う。そこへ、周りから「あなただけ違う」と言われたことや、人と比べて劣っていると感じたこと、一人になるかもしれない怖さが絡まってくる。どれか一つが原因というより、お互いに引っぱり合っていて、一つに触れると、ほかの気持ちもついてくる。
怖さは、誰といるかでも変わる
職場では浮いている気がするのに、親しい友達といるときは感じない、という人もいます。怖さはその人の中だけにあるわけではなく、誰といるか、どこにいるかで、出てきたり消えたりします。
だとすると、怖くなるのは、自分のどこかがおかしいからとは限らないのかもしれません。
「自分を信じて」と言われても
人と違うことに悩んでいると、「自分を信じて」「気にしなくていい」と言われることがよくあります。でも、自分の感じ方を信じられなくなっていることそのものに困っている人もいると思います。信じて、と言われても、何を手がかりに信じればいいのかが分かりません。
人と自分を比べるとき、たいていは、何かがどれだけうまくできるかを並べています。うまくできるかどうかは、並べると差がはっきり見えます。そして、自分よりうまくできる人は、探せばどこかにいます。比べるたびに、自分の足りないところが目に入ってしまう。
一方で、同じものを見て何を感じるかは、人によって違います。きれいだと思う人もいれば、少しさびしいと思う人もいる。どちらが正しいということはありませんし、どちらが上ということもありません。
私が自分の中で大事にしているのは、何かがうまくできるかどうかより、自分が何を感じて、どう考えたかです。人と感じ方が違っても、それで自分が劣っているとは思わずにいられる気がします。
私にとっては、このサイトや、YouTubeで出している動画が、感じたことを出せる場所です。自分が感じたものを、できるだけ感じたままに出せる場所。感じ方を大事にできているのも、出せる場所があるからなのかもしれません。どちらが先なのかは、自分でもよく分かりません。
違いが、足りないものに見えてしまう
人と違うことが怖くなるとき、その違いを、知らないうちに、うまくできるかどうかで比べてしまっているのかもしれません。浮いていることが、周りより足りないことに置きかわっている。そうやって比べれば、違いは、どこかが欠けているように見えます。
でも、同じものを見て何を感じるかは、もともと、うまくできるかどうかで比べるものではありません。
何を大事に思うかは、すぐには変えられません。それでも、怖くなったときに、いま自分は何と比べて、何が足りないと思っているのかを見てみることはできます。違うことと、劣っていることは、同じではありません。 何と比べているのかが見えると、その二つが、少し分かれて見えてくることがある気がします。