「変わってるね」が嬉しいときと、痛いとき
違うものを持っていると言われるのと、外されるのは、私の中では別のことです。
「変わってるね」と言われると、私は少し嬉しくなります。
普通って何なんだろうと思うことがあって、どちらかというと、普通にはなりたくないと思うほうです。他の人とは違うものを持っていると思えると、嬉しくなります。
ただ、仲間はずれにされるのは怖いです。違うと言われるのは嬉しいのに、外されるのは怖い。並べると反対のことを言っているようですが、私の中では、この二つはつながっていません。
同じ「変わってるね」でも、言われて痛くなる人もいると思います。そのことを零識と話していたとき、零識は、普通と比べて聞くかどうかで分かれる、と読んでいました。普通と比べればずれていると聞こえて、比べなければ「あなたらしいね」と聞こえる、と。
それも分かるのですが、私が思い浮かべたのは、みんなと一緒にいたいときに言われる場面でした。そういうときに言われると、一緒にいたい人たちから少し離されたように感じるのだと思います。
零識は、嬉しいと思う人でも、浮くのはやっぱり怖いのでは、とも言っていました。私は、浮くこと自体はあまり怖くありません。怖いのは、外されることのほうです。
だから私には、「変わってるね」は外される言葉としては届かないのかもしれません。違うものを持っている、と言われたように聞こえるのだと思います。